内閣府青年国際交流事業

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秦野 薫

『初めてをヨルダンから』~内閣府青年国際交流事業に参加して~

内閣府青年国際交流事業

「地球にこんなところがあったなんて・・・」と思わずつぶやいたヨルダンの2日目。私はホテルの屋上のさびた階段に座りながら、アンマンの砂色の街を眺めて心高鳴っていた。モスクの隣にあるミナレットと呼ばれる塔や世界一大きいというヨルダン国旗を見ながら、乾いた風に吹かれた私は小さな心地よさを感じた。そこは私が今まで一度も見たことのないような不思議な風景だった。スイスの田舎のようないわゆる“キレイ”さでもなく、インドの雑踏のようなものでもなく、カンボジアの土っぽさでも、タイの湿っぽさもない。家々が並びつくされているにも関わらず砂色の乾いた景色。雲ひとつない空だけど青々しているでもなく、アンマン市内の街の灰色が続いてそれで一応、空だから水色を足してみた。みたいなそんな空を見上げて、世界がこんなにもたくさんの異なる顔を持っていることに、とっても興奮した。「地球にこんなところがあったなんて」この言葉はヨルダンにいる最後の最後まで私の心に何度もこだました。そしてこんな風に思ったことが今までなかった私にとって、とても新鮮な感覚だった。

モーセの終焉地と言われるネボ山。「うわー」と声にならない声が自分の中で響いていた。そこは両手を広げて飛べるのではないかと思えるほど気持ちよさそうに開けていて、1000メートル以上高度差のある死海まで延々と続く砂色の谷間。塩分30%弱という死海は本当に体を沈ませることがなく、長いこと水泳をやっていた私にとってはおもしろい感覚だった。ウンム・カイスはシリアとの国境でイスラエルの占領地ゴラン高原がすぐそこに見えることに驚き、「あれが本当にあのゴラン高原?」と何度も確認してしまった。こんなに普通にしかもそこにあることがすごく不思議だった。そして、世界遺産に登録されているペトラ遺跡。遺跡のことにそれほど興味を持っていなかった私も、ペトラの宝物殿には迫力と一種の神秘性を感じた。初めて乗ったラクダは堂々としていて乗っている自分がちょっと誇らしかった。砂漠に沈む太陽はとてもドラマチックだったし、そこで映えるラクダのシルエットにドキドキした。砂漠でのキャンプは心躍り、すぐそばの砂岩はインディージョーンズの魔球の伝説のようなワクワクする光景だった。砂漠のひんやりする夜は電気もなくただ月明かりがすごくきれいで、オリオン座を見上げて夢を見ているようだった。紅海に面しているアカバではすぐそばのイスラエルの華やかな夜景に複雑な思いが混じって、見とれてしまった。「あそこら辺からエジプトで、こっち側はずっといくとサウジアラビア。」という地元の人の説明に現実的な感覚は感じられなくて、それでも大陸はつながっているということを考えると、そこに立っている自分は、確かに高校の地理の時間に見ていたあの地図帳中の小さな点にいることを思い、嬉しくなった。あの頃、まさか自分がここに来るなんて思いもしなかったから。たくさんの風景が甦ってきて、たくさんのそのときの思いが心に映る。そこには確かに自分がいた。

ヨルダンでは初めての感覚だけでなく、初めて経験することもたくさんあった。内閣府の派遣事業ということで、外国でスーツを着るなんて初めてで何だか出張みたいで道を歩いている自分が頼もしく見えたことや、ヨルダン国王の実の弟のファイサル王子との懇談の席で緊張しながらもそこの場にいられたことや、パレスティナ難民キャンプを訪問できたこと、そこで子どもたちに歌った「ふるさと」はとても重みがあった。ヨルダンの青年たちと英語で色々なテーマについて、例えばイスラム教について話したこと。日本の青年海外協力隊の人の活動を見学したり、少し手伝ったり。貴重な体験はたくさんあるけれど、その中でも一番印象に残っているのはホームステイというかたちでヨルダン家庭に入ることができたこと。

私はそこで初めて感じたことがある。「子どもが多いってステキなことかもしれない・・・」人生で初めて思った。夕方、仕事から帰ってくるホストシスターのアマーニを兄弟姉妹9人がそろって、まるでイス取りゲームのようにベランダにまるく椅子を並べて温かい紅茶を手にし、話したり笑ったりしながら待っている光景は、家族の温かさそのものだった。仕事をすることもいいけれど、こうしてホストマザーのように母親としていくつもの人生を支え、いつでもにぎやかに穏やかに過ごせることは、とてもすばらしく幸せなことかもしれない。一家団欒やみんなで同じことについて笑い合う光景には家族の平和な時間が流れていて、その中に入っていた私は家族の“幸せ”ってこういうものなのかもしれない。という思いで心が温かくなった。少子化が進む日本ではヨルダンのような子ども平均7人の家族構成はなかなか見られないし、仕事をしながら子どもを育てた母親の大変さを見てきた私は実際こんなこと思ったことなどなかった。だからこのようにすばらしいと思える感覚がとても新鮮だった。

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ホームステイが何故そこまで私の心に残っているのか。それはイスラム教の生活ということと、それと同時にそれを自然のままに私を受け入れてくれたこと。つまり宗教を認識する部分と同じ人間として家族に歓迎してくれたことという理由からである。彼らはアンマンの東にある大きな3階建ての建物の2階部分に住んでいた。引越ししたばかりで、ものが少ないためか、5つの部屋は広く感じた。モスクの近くということもあり、お祈りを促すアザーンの響きは一日中とてもよく聞こえ、朝5時のアザーンでは兄弟姉妹がお祈りのため起こしあい、そして祈る。朝のテレビはコーランがずっと流れていて、それを見ながら父親は数珠を片手に何かを唱えていた。モスクに行くときはシャワーを浴び耳まで洗って全てを清潔にしてから出かけることが献身的姿勢であり、モスクに着いてからもまた顔を洗ってから中に入った。その夕方にはまた、お祈りの時間だからと言ってショッピングの最中に急にモスクへ向かった。母親はちょっとベランダに出るときでも必ずスカーフを巻いたし、家で時間になるとひとりひとり交代でジュウタンを敷き、静かにお祈りを始めた。それらの光景は私が今まで体験したことのない生活であり、とても興味深く感じ、このような場面にいられることを真剣に受けとめながらもすごく嬉しかった。しかし、それだけではない。宗教が基盤になっている生活を体験できたことと、そうではなく同じ“人”として国籍や年齢、性別や宗教関係なく、そのような区別を感じることなく一緒にいた時間の2つの点があったからこそ、本当の意味での私の貴重でかけがえのない思い出になったのだと思う。一緒の部屋でベットを並べて寝たターラとは初めから隔たりのようなものをまったく感じなかった。母親が電気を消しに部屋に来たあと、2人で横になりながら小さな声で話したり、お腹すいてお腹がなったことに笑いあったりできたことが本当に嬉しかった。トランクの中に放り込んだ感じのバラバラの写真たちを彼女はガサガサとくじ引きのようにかき回し、手にとっては笑いながら説明してくれた。それを見て、大はしゃぎの同じ20歳のアハマドと冷静に照れ笑いのムハンマド。「砂糖を入れない方が好き」と答えた私に少ししてから「つい、いつもの癖で入れちゃった。」と笑いながらアハマドが持ってきてくれた甘い紅茶。いつしかその甘さが好きになっていた。結婚しているアマルのだんなさんと肩組みながら嬉しそうにしているホストファーザーの笑顔は忘れられない。メリバットは婚約パーティの幸せそうな写真を見せて結婚式の日をワクワクしながら待っている。鏡の前でとても華麗にアラビアンダンスを踊ってくれたイマーン。そして私に見せにきた大きな焼きたてケーキを片手に踊りだす陽気なホストマザー。3日間という短い時間だったけれど、私を家族のひとりのようにかわいがってくれたホストファミリーと過ごした時間はとても楽しくて嬉しくて、そして今その時間がとても愛おしい。ホストファミリーだけでなく、ヨルダンで出会った多くの人々の顔が甦ってくる今、改めてひとりひとりが大切な宝もののような存在であることに気づく。

「もっと世界を身近に感じたい、世界で起こっている様々なことを自分に引き寄せて考えたい」これは4月に出したこの事業の応募動機欄に書いた言葉。ヨルダンから帰ってきた今、充実感と共に、そのことを身をもって感じている。ヨルダンという言葉を見るだけで眼が止まる。ヨルダンと聞くだけで耳がはっとなる。そしてヨルダンという言葉に心が高鳴る。しかし、これはヨルダンだけに留まらなくなった。

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帰ってきて一週間経ったくらいにイラクのドキュメンタリー上映会を見に行った。アラブの人々という同じ顔立ちのヨルダンの隣りイラクの映像の中で、戦争の跡に叫ぶ人々を見て言葉が出なかった。苦しかった。ついこの間まで一緒にいた人々に見えて、一緒に笑いあった子どもたちに見えて、苦しかった。本当にたまらない気持ちになって、「もう、遠くに感じられない。」のだと私は思った。私は世界に近づいた。ヨルダンに行ったことでヨルダンが身近に思えるようになったのと同じように、世界で起きていることが身近に感じられるようになった。身近に感じるというのはただ、その土地のことについてたくさん勉強したとか知識が豊富だとか、ただ行ったことがあるとかそういうことではない。そこの土地のにおいや風を感じたから。そこに暮らす人々と話したり笑い合えたから、その人々のことが出てくるから、だから身近に感じられるのだと思う。出会った人々が私の中で生きているから、私の中にいるから、だからもう遠くには感じない。ヨルダンでたくさんの「初めて」を感じた私が今、身近な世界のここにいる。